わたしたちについて
私たちは、明治時代に活躍した 西田千太郎 の旧居を未来へ残すために集まった有志の団体です。
千太郎は、松江で英語の教員を務め、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江に滞在した約1年半のあいだ、その通訳を務めました。八雲から最も信頼された人物の一人でありながら、わずか34歳で早逝した千太郎。その足跡を伝える貴重な旧居が、現在も松江市新雑賀町に残されています。
しかし、明治2年に建てられた建物は157年の月日を経て、老朽化が進み、雨漏りも深刻です。このままでは、千太郎の生きた証が失われてしまいます。
私たちは、この旧居を修繕し、歴史的価値を重んじながら保存するとともに、地域の人々が集い交流できる場として再生させたいと考えています。
その想いを共有する仲間とともに、一般社団法人まちなかプラン を設立しました。
皆さまのご支援によって、この歴史ある家を未来へとつなげていきたいと思っています。


代表あいさつ
このたびは、ご挨拶の機会をいただき、誠にありがとうございます。
私ども一家が東京からUターンし、松江市新雑賀町に居を構えて33年になります。JR松江駅から徒歩5分ほどの場所に、敷地1000㎡ほどの古民家がありました。お住まいだった品の良いご高齢の女性にご挨拶をすると、「私は不出来な千太郎の孫でございます」と笑顔で答えてくださったのを記憶しています。
その女性が引っ越しされてから30年近く空き家となっていたその家は、やがて町内会の集会場としてお借りすることになりました。家の中には古い物入れに書物や書簡などがたくさん残されていましたが、残念なことに雨漏りで濡れて汚れていました。
この家が、小泉八雲とも深い親交があった明治時代の松江の教育者、西田千太郎の旧居であることを知りました。そこで、小泉八雲の研究をなさっている八雲会の皆様や、島根大学の宮澤文雄先生にご相談し、一緒に中に入っていただいたところ、驚くべき発見がありました。
今まで見つかっていなかった、小泉八雲と西田千太郎の深いつながりを示す貴重な資料が数多く保存されていたのです。西田千太郎が書き残した記録には、小泉八雲が28回もこの家を訪れたと記されています。
ここは記念館でも博物館でもありません。明治時代半ばの一般市民が暮らした民家ですが、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたい場所の一つだと思っています。小泉八雲が座ったであろう客間の場所に座って、明治時代の松江に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
一般社団法人まちなかプラン
理事長 今岡克己
法人概要
名称:
一般社団法人まちなかプラン
設立日:
2025年7月1日
所在地:
〒690-0054 松江市新雑賀町5-18(西田千太郎旧居)
〒690-0054 松江市新雑賀町12-12(まちなかプラン本部)